「原爆詩集」(峠三吉)

8月6日に寄せて

「原爆詩集」(峠三吉)岩波文庫

「詩集 にんげんをかえせ」(峠三吉)
 新日本文庫

「ちちをかえせ
 ははをかえせ
 としよりをかえせ
 こどもをかえせ
 わたしをかえせ
 わたしにつながる
 にんげんをかえせ」
(「序」)

本書は反戦反原発を
訴え続けながらも
若くして天に召された
詩人・峠三吉の詩集です。
原爆を直接体験した者でしか
表せない内容を、
詩人でしか成し得ない文章で
綴っています。

「あの閃光が忘れえようか
 瞬時に街頭の三万は消え
 圧しつぶされた暗闇の底で
 五万の悲鳴は絶え」
(「八月六日」)

「からだが
 燃えている
 背中から突き倒した
 熱風が
 袖で肩で
 火になって
 煙の中につかむ
 水槽のコンクリー角
 水の中に
 もう頭
 水をかける衣服が
 焦げ散って
 ない」
(「死」)

さて、この1917年(大正6年)生まれの
詩人・峠三吉ですが、
幼少期から病弱であり、
肺結核と誤診されたため、
生きている証にと
(当時肺結核は不治の病)
文学を始めたのが
きっかけだったそうです。

三吉の兄姉は共産党員であり、
次々に投獄されます。
父は末子・三吉だけは
そうさせまいとして、
三吉を反体制思想から
遠ざけて育てます。
したがって三吉は純粋な「国民」であり、
戦争を「聖戦」と信じていたのです。

三吉は敗戦によって、
戦争が「聖戦」などではなく
侵略戦争であったことを
知ることになります。
そのときから彼は
兄姉の思想の意図するところを知り、
自らも共産党に入党、
反戦運動に加わります。

1950年、朝鮮戦争において、
トルーマン米大統領が原爆使用を
考慮中であることを示唆したとき、
三吉は決意します。
冒頭の「にんげんをかえせ」によって
始まる「原爆詩集」を自費出版、
原爆被害を告発し、
その体験を広めました。

「あのとき あなたは 微笑した(中略)
 そのしずかな微笑は
 わたしの内部に切なく装填され
 三年 五年 圧力を増し
 再びおし返してきた戦争への力と
 抵抗を失ってゆく人びとにむかい
 いま 爆発しそうだ」
(「微笑」)

広島で被曝した三吉は、
光線による障害こそ免れましたが、
放射線は着実に三吉の身体を冒します。
自ら望んで受けた肺葉切除手術に
彼の躰は耐えきれず、
手術台の上で帰らぬ人となります。
1953年死去、
36歳の生涯でした。

※岩波文庫から「原爆詩集」が
 復刊したのは喜ばしいことです。

※新日本文庫版は「原爆詩集」以外の
 戦争関連の詩も収録しています。
 ただし出版社が文庫本出版を
 停止しているため、
 文庫本は古書でしか入手できません。
 単行本は現在も流通しています。

(2020.6.11)

自然さんによる写真ACからの写真

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